楽茶碗は大嫌い!? でも茶碗を焼きに焼きまくる男『迷雲』のブログ

楽茶碗の製作は地味で熱いなどシンドイことばかりですが、楽茶碗師『迷雲』が製作を通して感じたこと、知っていること、時たま脱線したこと(いつもかな?)を書き綴っていきます。

楽茶碗の「茶溜まり」に思う

楽茶碗の見込み中央には、「茶溜まり」と言う凹みがあります。茶碗にはあるのは当たり前と言いたいのですが、現代の茶碗のようなくっきりした「茶溜まり」は、私はあまり好きではありません。

私の考えですが、その「茶溜まり」の源流は高麗茶碗にあるような感じがします。

高麗茶碗の全てとは言いませんが、見込みには「鏡」と言われる「茶溜まり」より一回り大きな凹みがあります。

何故この「鏡」が存在するかは定かではありませんが、高麗系の土は良く底切れ(見込み中央にヒビが入ること)します。それを防ぐために底の粘土を締めるんですね!

そのへらで底を締めた跡が後に「鏡」と言われて来た感じが自分なりにしています。

楽茶碗を製作する時、口縁部から胴が収まると、茶碗を裏返して腰を作りますが、その時は両手で腰を締めるんですよ!

すると腰はぐっと引き締まり、底の土は上へと上がって来ます。再度茶碗をひっくり返して見込みを見ると、茶碗の底は凹み、まるで自然に出来た「茶溜まり」のようになります。

長次郎の作品を見ると、全く同じような凹みとなっている茶碗がたくさんあります。たぶん同じような作り方をしていたのでしょう。

でも、長次郎の黒楽である「俊寛」だけは違います。「茶溜まり」の輪郭はキリットしっかり付け、現代の茶碗に見る「茶溜まり」と同じです。

他の長次郎作品とは異なり、器体も全体に薄い作りで、重さも330グラムしかありません。

当時は長次郎と言う個人の作者を思い描きますが、実は長次郎集団でしたので、他の作品とは作者が違うのでしょう!

光悦の作品には、明らかな「茶溜まり」は存在しません。光悦は形式を嫌ったのかもしれませんね!

長くなりましたが、「茶溜まり」とは、高麗茶碗の破損を防ぐために土を締めたあとが、後々「鏡」と言う景色として珍重され、楽茶碗にその景色が引き継がれ、また光悦はその形式を壊した作者なのかもしれません。

要は風情が存在すれば、それでオーケーだと私は考えています。

Copyright 2014 meiun All rights reserved.