いつかは七割方成功の釉薬を目指して!
釉薬の調合の話しをしたいと思います。
このブログでもいろいろな昔の釉薬の配合を紹介して来ました。
釉薬の調合は絶えずその都度に記録しなければならないのは話した通りです。
その場でやっておかないと、次の作業に気を取られて直ぐ忘れてしまうんです。
でも、その記帳した配合は安定して焼ける釉薬とそうではない釉薬があります。
安定して焼ける釉薬は確かに有り難いのですが、それ以上は期待出来ない釉薬とも言えるのです。
皆さんが臨んでいる楽茶碗は綺麗に焼けた茶碗ですか?それも多少のアラはあっても味のある茶碗ですか?
これは好みの問題となりますが、綺麗な焼き上がりを望む人は、安定している釉薬配合を過去の釉薬配合を参考にして作り出してください。
反対に味のある茶碗やアラも味の内と考える人は七割方安定する釉薬が面白いと思います。
ちなみに私は七割方安定している釉薬を使います。時には五割方の釉薬を使う場合があります。
10碗焼いて5碗しか出来の良い作品が無いと言う釉薬です。
何故そんな釉薬を使うのか?その答えは味わいがある茶碗は失敗と成功のギリギリの線上にあるものなのです。
楽茶碗は普通のやきものと異なり、90%以上が人為的なやきものなんです。
楽茶碗についていろいろ書かれている本の中には、説明の中で「窯変」と言う言葉がよく使われています。
特に光悦の白楽茶碗の「不二山」の説明には必ず「窯変」と言う解説が伴います。
しかし、「不二山」は単に「窯変」で事を終わらすことが出来ない作品だと確信しています。
私は以前この不二山の写しを依頼され、誰でもご存知な処へ納品したことがあります。
大変喜んで頂けましたが、私は未だに納得していないのです。
いつか光悦の技法を解析するまではこの思いは続くことだとおもいます。
話は戻り、「窯変」とは焼成中、窯の中で意図せずに、炎の力により自然に出来た色あいや景色を指します。
他のやきものには確かに「窯変」は窯の場所により起こります。
しかし、楽茶碗に於いては、御本手(赤の地肌に緑の斑点が出たり、また他の色の斑点が浮き出る景色)は確かに「窯変」ですが、それ以外は何らかの人為的な施釉操作を凝らして焼き上げているのです。ですから安易に「窯変」と片付けることは出来ません。
それだけ、過去の偉人たちは凄いのです。
ですから、ギリギリまで施釉する心意気と七割方の釉薬配合でギャンブル的ですが、味のある作品を私としては目指してもらいたいなぁーなんて思います。
でも、安定して綺麗な作品が安定して焼成出来るようになってからの話ですよ!
初めからそれを目指したら、茶碗はメチャクチャになってしまいますからね!