楽茶碗は大嫌い!? でも茶碗を焼きに焼きまくる男『迷雲』のブログ

楽茶碗の製作は地味で熱いなどシンドイことばかりですが、楽茶碗師『迷雲』が製作を通して感じたこと、知っていること、時たま脱線したこと(いつもかな?)を書き綴っていきます。

宗二さんになってはいけません。

秀吉は、関東の小田原北条を成敗するために、北条の城を見渡せる位置に、一夜城(石垣城)を築いたのはご存知かと思います。

秀吉は利休まで一夜城に呼び寄せ、じっくりと北条を攻めましたね。

今、そこには石垣しか残っていませんが、石垣は本当に見事です。

城が出来るまでは、周りの木々は切らず、城が完成し、初めて周りの木々を一気に切り倒したと言われています。

北条の小田原城から見上げれば、一夜にして山の頂に立派な城が出現したように見えるので、一夜城と言われていますが、その話を裏付ける証拠が今も残っています。

それは、太閤道です。この道は山下から塹壕のように道の両脇は壁となるように掘られ続いています。

だから、城を建てるための資材を運んでも、周りからは一切分かりません。

一夜城にもし行く機会がありましたら、是非、太閤道を通って一夜城に行ってください。

その一夜城で山上宗二が秀吉に両耳と鼻を削がれて切られましたよね!

残酷としか言いようがない事件ですが、ここに秀吉の考える茶が、顕わに表現されています。

秀吉から見た「茶とは何ぞや!」です。

利休に切腹を命じた秀吉も同じく、また、古田織部に「武士の茶を!」と命じたのも同じくです。

ややっこしくなって来ましたが、要は武士が存在する上に、茶があると言うことです。

テーブルが武士で、そのテーブルの上に茶がある感じ。

前述の山上宗二はそれが分かりませんでした。分っていたかもしれませんが、頭で分かっていても、血が分からなかったのです。

時は北条成敗最中です。時を待てど、ただのらりくらりで待っている訳ではありません。

しかし悲しいかな、宗二はテーブルを茶とみなしてしまいました。

茶と言うものは恐ろしいものです。一歩間違えば、宗二さんが何人も出て来てしまいます。

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