楽茶碗は大嫌い!? でも茶碗を焼きに焼きまくる男『迷雲』のブログ

楽茶碗の製作は地味で熱いなどシンドイことばかりですが、楽茶碗師『迷雲』が製作を通して感じたこと、知っていること、時たま脱線したこと(いつもかな?)を書き綴っていきます。

茶碗は自分の分身になる時もあります。

今日は居合刀を持って電車に乗っているんです。

居合刀ですから、本物の刀ではありません。

何故居合刀を持参しているかと言えば、茶碗の見方の座学で必要だからです。

現代は一部を除き、利休以降は「商人の茶」が一般的ですね!

でも、歴史には「武士の茶」が存在したのも事実です。

作法は時代を経て「商人の茶」から「庶民の茶」になりましたが、茶碗には未だ「武士の茶」の血が息づいている茶碗もあります。

それらの茶碗を見る、触る場合は武士の感覚も少しからず分からないと、なかなか心にストンと落ちることはありません。

なんせ、武士はもう現代にはいませんから!

なので、居合刀を実際に構えて頂き、その直後に茶碗を持って頂きたいために、この長物を持参している訳です。

傍からみたら、新聞紙に包まれた長ーぃ自然薯ですけどね!

人間の感覚は言葉の羅列だけでは、なかなか悟りません。

一番簡単な茶碗の見方を書きます。

茶碗を2メートル先に置いて、ジックリ茶碗を見てください。販売している茶碗だったら、2メートル自分が下って見てください。

その距離で茶碗を観察して、その茶碗にオーラが有るか無いかです。

なーんだ!なんて言うかもしれませんが、例えば芸能人やモデルさんに出くわしたとき、その人に何かしら一般人とは異なるオーラを感じる時がありますよねね?

正に、その感覚です!良い茶碗には、その人を魅了するオーラがあるんです。

距離をあける訳は、手元で茶碗を見てしまうと、細かい所ばかり目に入り、目を奪われてしまうのです。

しかし、2メートル位の距離で見ると、茶碗の全体の雰囲気しか取れなくなり、オーラがある茶碗か、無い茶碗かが、ハッキリ分かるのです。

自分の茶碗は自分の分身だとも言えます。

秀吉が亭主で茶をたて、客が家康だったらどうでしょうか?

たてた茶も、そしてその茶碗も、客である家康から見たら、全て秀吉!となりませんか?

ですから、茶の作法だけではなく、自分の分身になるような茶碗を持ってください。

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