『良い楽茶碗を焼くためには』
今日は昨日の社中の皆さんの赤楽茶碗の焼きでグタグタのオヤジです。
頭の中で神経を集中させたせいか、はたまた単にオヤジだからでしょうか?兎に角グタグタオヤジです。
でも、ほっとしました。焼きを手伝うことは簡単ですが、それでは全く意味がありません。
自分等で焼いたと実感するためには、私がヘルプしたら意味はなくなります。
でも、話したように女性陣も男性に変身して頑張ってくれました。
そして、店で10万円位で販売されている赤楽茶碗より見事な赤楽茶碗を焼き上げましたよ!
楽茶碗の焼きは理屈や理論は通用しません。
窯の中の炎の状態により刻々と変化する状況の中で、茶碗を実際は焼きあげているんですが、実は茶碗を土から茶碗に育てていると言ったほうが正しい感じなんです。
たまたま良く焼き上がったというのは、9割の内の1割なんですよ!
残りの9割は育てている(そのように焼いている)んです。
昨日、社中の代表者が言った言葉に象徴されますが、「我が子を産んだような!」
正にその感覚なんです!
焼くんではなくて、焼き上げていくんです!
何度も私は言っていますが、焼きの温度は関係ありません。秋刀魚と同じて焼ければ良いのです。
でも、ただ焼くのではなく、焼き上げていくのです。
この思いの違いは大きく、作品に表れます。
単に精神的な事をいっているのではなく、その思いがフイゴの動作に反映されて行きます。
フイゴは単に棒を押したり引いたりすれば、誰でも火力は上がり、簡単に楽釉は解けてしまいます。
単に釉薬がガラス状態になれば良いのであればそれで構いませんが、そんな作品は味もそっけもありません。
ですから、茶碗を包み込むような空気を送る感じでフイゴを吹きます。
そのように思うだけで、自ずとフイゴを吹く動作は荒くはなくなります。
長くなってしまいましたが、楽茶碗を焼かれる方は、フイゴを使わない焼きでも、単に温度を安易に上げることに集中するのではなく、どのような炎にして今は焼くかをイメージして炭火の管理をしていくかで作品は変わっていきますので、その点は十分考慮して良い作品を焼き上げて欲しいと思います。