もし、長次郎が瓦師だったのなら?
今日はふと長次郎と言う人が気になりました。
長次郎は瓦師だったと言われていますよね?
このオヤジが再現した楽焼秘曩(らくやきひのう)の窯にしても、如何にも平瓦を三枚縦に置いたような窯です。
ここまでは長次郎は瓦師と言うことで納得はいきます。
しかし、作品を見ると茶碗以外では、獅子、瓜絵の平皿位でしか現存していません。
何か点が重なるだけで、直線にならないんですよ!
強いて言えば、楽茶碗と瓦の焼成温度は親戚みたいな感じです。
しかし、それ以外は瓦師だと仮定した長次郎と作品がイコールにはならない。
ここからは、全くの仮定ですよ!
もし、長次郎が瓦師だと仮定すると、当時の瓦は丸瓦にせよ、平瓦にしても型で作っています。
そんな瓦師の長次郎がいくら利休のオーダーがあっても、手捏ねで楽茶碗を製作するかということが疑問点なのです。
結論から話せば、利休は寸法に兎に角厳密でしたから、もしかすると製作する楽茶碗の型があったのではないか?という仮定が頭を過ります。
では、どんな型かと言えば楽茶碗の腰から高台にかけての型と言うか台です。
赤楽茶碗の「無一物」や黒楽の「大黒」、また高さは変わりますか赤楽の「早船」などは腰から高台にかけての流れが非常ににているんですよ!
似ているからと言って、短絡的に型だとは言い切れませんが、もし長次郎が瓦師だと仮定すると、型(台)があったほうが、何か納得するものがあります。
陶芸と言えば、サァーっとロクロで器を引いたり、楽茶碗は指先で一押し一押しのほうが陶芸家っぽい現代感覚ですが、要は味わいがあり、良い茶碗が出来ればそれで良いのですから、私は型(台)で腰作りをしても一向に構わないと考えてしまいます。
皆さんはどう考えますかね?