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楽茶碗は大嫌い!? でも茶碗を焼きに焼きまくる男『迷雲』のブログ

楽茶碗の製作は地味で熱いなどシンドイことばかりですが、楽茶碗師『迷雲』が製作を通して感じたこと、知っていること、時たま脱線したこと(いつもかな?)を書き綴っていきます。

武将と茶の湯と一節切

本日、二度目のブログ投稿。

今日は2本目の一節切にカシュー漆の塗りを施しました。重ね塗りをするために、まだ完成はしていません。

この一節切と出会い、今まで疑問であった、利休の竹花入「尺八」の美の根源、そして茶道での楽茶碗に於いては、音と言えば、茶事に於ける銅鑼の音だけでしたが、もっと現代では考え着かない奥深さが思えてならなくなりました。

まず、利休が秀吉に献上した「尺八」の花入。

一節のみの竹で出来ており、幅は違えど、一節切と同じ比率で出来ているように感じます。

そして音に関してですが、物事には「静」と「動」がありますよね。

茶室に於いて、「静」は見いだせても、「動」は何故か見いだせなかったのです。

確かに、点主がお茶を点てている動作は「動」とも取れますが、時の武将たちと対比させると、やはりその動作自体も「静」となります。

前置きが長くなりましたが、一休が一節切をこよなく愛し、狂曇集にも沢山の歌を残し、また、信長も「乃可勢(のかぜ)」と言う一節切を持ち、その一節切が秀吉、そして家康と大事にされてきたことを考えると、戦を「動」と捉えるならば、「静」に一人で一節切を奏でる武将の一面を垣間見ることが出来ます。

よって、ここからは推測ですが、桃山時代の茶の湯は、今とは少し異なり、何か音の存在を感じ得ずにはいられません。

江戸初期以降は、一節切も尺八へと移行して行き、一節切は裁断され、蓋置となっていったようです。

尺八より儚く、繊細な音色の一節切。

何故か時の儚さが音に表れて、尺八には無い時の流れを感じます。

今夜からその一節切の製作時に撮影した写真でYouTube用の動画を制作しますので、完成後にもし一節切に興味が湧きましたら作ってみてくださいね。

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