楽茶碗は大嫌い!? でも茶碗を焼きに焼きまくる男『迷雲』のブログ

楽茶碗の製作は地味で熱いなどシンドイことばかりですが、楽茶碗師『迷雲』が製作を通して感じたこと、知っていること、時たま脱線したこと(いつもかな?)を書き綴っていきます。

何故備前の擂り鉢を学ぶか?

備前の擂り鉢が何故勉強の題材に良いかを話します。

まず、簡単に製作出来ます。

次には、この擂り鉢は平安、鎌倉、室町、桃山、江戸と雑器ですので、各時代毎に製作されており、時代文化の影響を受け、形が異なっています。

その異なりにいろんな細かい技法が使われているのです。

一見して分かる変化は、まず櫛目です。
平安、鎌倉、室町前期は数本の櫛目が垂直に4~5本のみ。

これが室町後期から桃山にかけては、流れるような櫛目に変化していきます。

全体の形も、初期は碗なりですが、桃山時代になると逆富士山形となります。

同じく口縁部の造形も段々と力強くなっていきます。

要はこの擂り鉢を勉強すると、全体の形が決まれば、口縁部の形も同じ時代に合わせなくてはならないし、また櫛目も合わせることとなるのです。

この各部分の見た目の雰囲気を合わすことが勉強になるのです。

そこには、自分のオリジナリティは一切入れることが出来ません。

時代の空気感を統一させることしか出来ないのです。

このような勉強を積むと、各時代のもつ空気感が自ずと表現出来るようになるのです。

また備前はただの焼締陶器です。
ですから、焼きを除くと造作だけが命なんです。

昔の備前職人は、なんの変鉄もない備前に如何に自然見える表情や造形を作り上げるかに必死だったと感じます。

桃山時代の擂り鉢でも、より高度な口縁作りをしたり、見込みにへらで螺旋の線が書きを施し、その後に布地にて線書きをうっすら残るように消したり、いろんな努力や装飾が見られます。

楽茶碗の世界も同じで、まず茶碗として使いやすくなければ、それは茶碗ではありません。

なので奇想天外な形は、用の美がなければ茶碗にはなりません。

ですから、自ずと形は決まって来てしまいます。

そこで、その大体決まった形のなかで、用の美を壊さす、如何に良い茶碗を作るとなると、それは茶碗の各部分の細かい造形の創作となります。

しかし、単に創作ではすみません。

口縁部、側面、腰、高台に至るまで、全てが統一されていないと、ただ騒がしく統制の取れていない茶碗となってしまうのです。

ですから、楽茶碗と全く違う備前の擂り鉢なんですが、楽茶碗の基本を学ぶには良い教材費なのです。

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