長次郎等の黒楽茶碗の艶について
長次郎や常慶の黒楽茶碗は、何故艶が無いのだろうか ?
釉薬が使用により経年劣化して艶が無くなったという記述も見ますが、それが正しければ、三代の道入(ノンコウ)の茶碗でも、時代の差は多少あれども、劣化現象は見られても良いはずです。
しかし、道入の茶碗は長次郎等の釉薬の劣化は見られません。
要は劣化してではなく、そのように焼いたと言うことが正解だと思います。
では、何故艶がなく焼いたのか ?
ここで技法に目が向けられますが、技法の前には、その技法を編み出した何らかの目的や狙いがあったことでしょう。
では、その目的か狙いかは分かりませんが、それらは何であったか ?
私は、「内曇り」にヒントがあるのではないかと考えています。
「内曇り」とは一般に、刀を研ぐ時に、刃紋などを綺麗に出す一番大事な砥石のことです。
この「内曇り」は京都より産出され、とても貴重で高価な砥石なんです。
そしてこの「内曇り」のコッパ(1センチ四方の薄くした破片)を和紙で割れないように補強して、コッパを指先に置いて刀の刃紋を出して行くんです。
それだけ重要な研ぎに使用される「内曇り」なんですが、この砥石はピカピカになるのではありません。
字の如く、ピカピカを抑え、内からなる強さを出し、刃紋を見事に鉄地から出して行くんです。
当時の楽茶碗を使うのは武士です。
ですからこの妖艶なる刀の内曇りの美しさは自ずと理解していたでしょう。
でないと、「内曇り」は使いませんからね !
そんなことで、その力強い、妖艶なるな「内曇り」の刀の表現を楽茶碗の釉薬に求め、また焼き方にも試行錯誤したのだと私は考えるのです。
皆さんはどう考えますか ?