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楽茶碗は大嫌い!? でも茶碗を焼きに焼きまくる男『迷雲』のブログ

楽茶碗の製作は地味で熱いなどシンドイことばかりですが、楽茶碗師『迷雲』が製作を通して感じたこと、知っていること、時たま脱線したこと(いつもかな?)を書き綴っていきます。

もしやして、南坊流のご宗匠ですか ?

今しがた、私のYouTubeの動画に南坊流のご宗匠と同名の方が登録していただきました。

もし、これが南坊流のご宗匠でしたら、お礼をこの場で失礼ですが、申し上げます。

また、違う方でしたら、これまた登録ありがとうございました。

もし、南坊流のご宗匠でしたら、、、
南坊流といえば、詳しく存じませんが、利休の南坊録を記した南坊宗啓の茶の道を正法とする茶道だったと記憶していますが、間違っていたらすいません。

とにかく、各派はあれど、登録がご宗匠でしたら嬉しい限りです。

楽茶碗を作っている身として、本日アップした動画でも、言いたいことは沢山ありますが、全てを言ってしまい、それだけだと固定観念に駆られてしまえば、茶碗の自由度はなくなります。

ですから、その半面その表現は曖昧となり欠点も出てきます。

各々の個人の感性を生かし、茶碗の道から外れたことはしない。

クラシック音楽の演奏と全く同じなんです。

バッハ、モーツアルト、ベートーベン、リスト、ショパンチャイコフスキー等々の偉大な作曲者が残してきた楽譜があります。

その楽譜を見て、各々の演奏家が自分の感性で音に表す。

楽茶碗の世界も同様に、長次郎、のんこう、宗入、光悦などの名茶碗があります。これらは音楽で言えば楽譜と同じです。

それらの茶碗を見て、触って、飲んで、どう感じるか ?

自分では感じたままに、どう作りたいか ?

そこで、作者しか作れない造形が生まれることだと思うのです。

音楽の楽典にあたるものは、茶碗で言えば、点てにくい、持ちにくい、など茶碗の基本(楽典にあたる)を無視したものだと。

その基本を押さえていれば、各々の自由度を狭くしたくないのが私の考えなのです。

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