光悦自身の茶碗の持ち方はどうだったんだろう?
今日は暑い。夏本番です。
昨日、このブログを見ていただいているTさんから、ご丁寧なコメントを頂きましたが、そのコメントの中で改めて学んだことがありました。
今YouTubeで公開している光悦の「雨曇」の作り方において、現代の茶道人口をの大多数を占める、割り持ち(裏千家の方々の茶碗の持ち方)で気がつかないうちに公開しました。
しかし、本来は今に感じ残る茶道の家元は三千家の表さん、裏、武者小路から武士手前の家元まで沢山の流儀があり、その流派により、茶碗の持ち方も自ずから変わって来るのが現実です。
ただ、私の動画編集で訂正しなければならないことは、光悦自身の茶碗持ち方が割り持ちではなかった可能性があります。
その点は訂正並びにお詫びします。
雨曇は茶碗の側面の形状からして、表千家さんの持ち方に近いか、それとも天目茶碗の天目台と共に持つ持ち方に近いのではないかと私は考えています。
雨曇はまだ未だに実物は持っていませんが、以前に「だいふく」という光悦の赤楽茶碗を持った時があり、その感覚と雨曇の感覚と良く似ている感じがするのです。
あくまでも私の感覚ですので、絶対とは言えませんが、光悦自身は割り持ちではなかったのではないかと私は思っています。