楽茶碗は大嫌い!? でも茶碗を焼きに焼きまくる男『迷雲』のブログ

楽茶碗の製作は地味で熱いなどシンドイことばかりですが、楽茶碗師『迷雲』が製作を通して感じたこと、知っていること、時たま脱線したこと(いつもかな?)を書き綴っていきます。

楽茶碗 長次郎の黒楽と赤楽

楽茶碗の祖師と言われる「長次郎」は皆さんはご存知かと思います。利休が瓦職人の長次郎に茶碗を焼かせたのが始まりだと言われています。

江戸時代に活躍した尾形乾山(おがたけんざん)が書いた「陶工必用」と言う書物には「長次郎」ではなく、「朝次郎」と記されているんです。

たぶん、長次郎は中国か朝鮮の人だったのかもしれませんね!中国には「明窯」と「暗窯」と言う窯がありました。

「明窯」は直径が1メーター位ある円柱形の窯で、「暗い窯」は同じく円柱形の窯なんですが、もう少し小型の窯です。

この「暗窯」が、当時の長次郎が使用していた窯に近い感じがします。

長次郎の楽茶碗は、今の楽茶碗より小型です。口径が10センチ位です。

その茶碗を持つと、手の内にピッタリ収まります。重さも今の楽茶碗より重いんですよ!

当時の武将達が使う道具なんですから当たり前!

長次郎は今の一人で製作する作家ではなく、長次郎窯みたいな職人集団だったと思うんです。

釉薬を作る人、茶碗を作る人、フイゴを吹く人などです。茶碗に限らず、当時は皆職人集団が普通な時代でした。

長次郎の作品と言われる黒楽茶碗はたくさんありますが、赤楽茶碗は案外ないんですよ!

ここから私の妄想の始まりですが、印鑑の朱肉は当たり前に印鑑を押す時に使用しますが、明治時代までは庶民は朱が使えなかったことはご存知でしたか?

庶民の朱肉の色は「黒」だったのです。朱は天上人が使う色だったのです。だから、御朱印船は時の天上人が何かを許可した船なんですよ。

ここまで来ると、黒は普通で赤(朱)は普通でない感じがしてきませんか?

赤楽が余り現存していないのは、普通でない茶碗だったのかも知れませんね!

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