楽茶碗 昔の書物である「楽焼秘嚢」の面白さ
昨日、YouTubeに江戸時代に書かれた楽焼の技法書である「楽焼秘嚢(らくやきひのう)の動画をアップしました。
この「楽焼秘嚢」は享保19年(1734)及び元文元年(1736)年に発行されたと思います。
上下巻に分かれており、上巻は私が再現した江戸の楽窯の資料になった窯の作り方、釉薬の配合などが記されており、下巻は茶碗の形状、「楽茶碗師統譜(らくちゃわんしとうふ)」と言う、楽家代々が記されています。
私たちは、昭和30年に楽家14代の覚入により発表された宗入文書により、楽家の継承はすでに分かっていますが、「楽焼秘嚢」の楽茶碗師統譜では内容が異なるところが面白いです。
※宗入文書:元禄元年(1688)に記した楽家五代の宗入が記した楽家の継承の流れなどの文章。
長次郎は元々朝鮮の生まれなのでしょうか?書物の中では朝鮮の一字を取って「朝次郎」とも書かれています。
楽家三代(道入)では「吉左衛門」ではなく「吉兵衛」となり「左」の字がありません。
そして、今は知らない方も多いですが、道入の弟の道楽のことも道入の左側に記されています。
境に居て楽の印を持っていると。多分ここで言う楽印は秀吉から拝領した金印かもしれませんね!通常の道楽の印は楽の逆文字印ですからね。
この書物が発行された時の「今吉左衛門」と「今弥兵衛」が六代として並列されていることはびっくりしました。
今吉左衛門が六代の左入です。
今弥兵衛が玉水焼初代の一元です。この一元は四代一入の実子ですね。
昔の書物はいろいろな情報があり、どれが事実か分かりませんが、謎めいてて面白さはあるんですよ。