楽茶碗 『光悦オヤジの凄さ!』
光悦の茶碗の写しを作る時は、他の作者の茶碗を作る場合と異なり、とても疲れるんです。
私が作碗する時の感覚としては、茶碗の中と外を全て平面とし、1センチ角のマス目を描き、その1マス1マスの造形を確認しなければならない様な作業が延々と続くからなんです。
光悦は字も漆工芸も達人です。いずれも丹田で深く考え根気のいるものなんです。
そんな日々の環境下にあるのかどうかは分かりませんが、「ここまで気をいれるのか!」とか、「ここまで作為を入れていてもその作為を見えなくする執念!」を
その各マス目に感じるのです。
その感じを写さないと、黒楽茶碗の『七里』はただのバケツのような茶碗になってしまいます。
当時の茶碗の時流に反し、自分なりの茶碗を追求した結果が今に残る光悦の茶碗なのかも知れません。
光悦は今で言う『頑固ジジイ』たったのですかね!自分もジジイなので、多少の気持ちは分かりますが、兎に角妥協無きオヤジです。
そんなオヤジは今少なくなりましたね!