楽茶碗は物であり、先には人!
今日予定の座学も無事終わり、ホッとしているオヤジです。
幹部の方のみの座学だったのですが、皆さん感性に優れ、各自、自分の感じたまま、また思ったままを言葉に出来る素晴らしい方々でした。
内容が理解出来なくても、自分が感じたことを素直に言葉にすることが、とても大事なのです。
このオヤジには起承転結された回答など必要ありません。この本人でさえメチャクチャなんですからねぇー!
まとまっていない言葉にこそ真実があります。今日はその真実を十分味わました。
今まで見たことない古い茶碗をみて、分かる人間なんていやしません。
一瞬で分ったら、それは茶碗の神です。
分からない茶碗を見回し、触り、茶を飲んで初めて何かが見えてくるんです。
それは、まだ長々と語れないでしょう。でも各自の心の中には新たな世界が開いてきます。
その開いた世界で各自が自分らしく、また確信をいだき、そんな人々が集まる会を作って頂きたいものです。
茶碗製作も同じです。日頃は茶碗に対し般若ですが、その先には人がいます。
茶碗はあくまでも茶碗。全てではありません。
最後は何事も人です。人が感じる物なのですから。