楽茶碗は大嫌い!? でも茶碗を焼きに焼きまくる男『迷雲』のブログ

楽茶碗の製作は地味で熱いなどシンドイことばかりですが、楽茶碗師『迷雲』が製作を通して感じたこと、知っていること、時たま脱線したこと(いつもかな?)を書き綴っていきます。

待庵でのお茶はいかが?

私は茶碗を作るだけで、茶道はしていません。茶道をすれば、より茶碗が分かる利点の存在も否定はしません。

でも、何か言葉には出来ないけれど、違うベクトルを感じるんです。

その違いとは、好みの固定化です。茶道を私が分かると、当然自分の好みが固定化されて行きます。

すると、オヤジだから頑固になってしまう可能性も出てしまい、その頑固さが他を寄せ付けないと言う欠点になる可能性があるので、あえて茶道はしないオヤジなんです。

でも、想像や妄想はたくさんします。昨日は茶道も知らないのに、待庵にて亭主が秀吉、客が家康という想定の話しをしました。

両者は武人です。性格も全く異なる武人であり、両者覇権を狙う大物の男達です。

秀吉が畳一枚の家康からの距離にて茶をたてる。秀吉の視線には家康は見えません。

しかし、秀吉は家康を背で感じていますよね!ただ美味しい茶を「おもてなし」の心でたてていると思いますか?

秀吉は何気なく茶をたてながら、背後の家康を捉えているのではないでしょうか?

茶がたち、茶が家康に出されてからは、全く立場は逆転し、秀吉は家康が茶を飲む姿を捉え、また家康は茶を飲みながら、茶碗の中に埋もれる顔はしっかりと秀吉を据えています。

もし、この両者のどちらかが自分だったら、メチャクチャ緊張しますよねぇ!

茶道は楽しみでしているんだから、そんなシュチュエーションを想像しなくてもいいという皆さんもいると思います。

確かに仰る通りです。

でも、こんなシュチュエーションを妄想し、時の秀吉か家康になりきり、茶道をしてみてはいかがでしょうか!

大きな茶会に呼ばれた時には、その妄想がきっと役に立つ時があります。

楽しみとは、ただ楽しいことだけでは、いつかはマンネリ化して飽きてきます。

若いころの試験の合格だって、苦しい勉強を乗り越えて合格したから、嬉しいのであって、何もしていないのに、「合格です!」なんて言われても、嬉しくは全くないですよ!

だから、緊張や努力の上に鎮座する楽しみ、楽しみにもたまには挑戦してくださいね

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