楽茶碗と人間は同じもの
楽茶碗は世に腐るほど存在します。
私は楽茶碗を見るとき、「お前さんは何者なんだい?どうしてこの世に生まれて来たんだい?」と問います。
特に印無き無名の茶碗に対して!
男女とも異性と知り合えば知り合うほと、また好きになるほど、相手のことを知りたくはなりませんか?
これは人間の欲でしょうか?
些細な事でも知りたくなる。
茶碗も同様に、ウワベだけで生まれた茶碗なのか?、また世に問うために生まれて来た茶碗なのか?気になる次第なのです。
知れば知るほど中身が濃い茶碗もあれば、薄い茶碗もあります。
それは、人間と全く同じです。
異性同士では、仮面カップルでは楽しみはありません。誰しも欠点と長所が混在しています。
ですから、混在が当たり前なので、完璧な女性も男性もこの世には存在しません。
楽茶碗も同じです。完璧であればあるほど、味わいを失い、また人間性を失い茶碗との会話は出来なくなります。
茶碗も人間もこの世に生まれたのだから、自分らしく生きて欲しいと思います。