長次郎作品の黒楽茶碗に見る美
楽茶碗の祖師とされる長次郎の作品を触る度に思うこと。
それは、まるで石で作られたみたいだ!と言うことと同時に、一種類の釉薬ではない!と言うことです。
昔、黒楽の釉薬は加茂川石が主原料ですから、加茂川石100に対して白粉10と
20の比率で焼いたことがあります。
ほぼこの配合だと加茂川石のみと言う配合になります。
ではなぜ白粉を入れるか?
白粉は融点を下げるために入れます。
結果から言うと、焼いた茶碗は石そのものでした。
勿論艶はありません。それは良いのでが、見た目が石そのものであり、硬い感じで長次郎の作品とは異なりました。
そんな焼きをのテストを繰り返し今があるのですが、まだまだ長次郎の作品には分からないことがあります。
現存している茶碗は基本配合は90%変えていませんが、残りの1割は茶碗により変えています。
また、前述の茶碗を実際にもった感じでも釉薬は一種類ではなく、最低二種類は使用しています。
本当に当時の人達にはおそれいります。
その技術、探求心、並びに努力に対してです。
1碗に対する思い入れが並みではないのです。
また美的センスも半端ではありません。
織部焼の絵付けを見ても思いますが、あのなんのテライもない子供のような絵付け。
当時の人達は筆が上手いのにです。
それに比べ、現代の織部焼の絵付けは筆か一本調子で、どの線も同じ雰囲気で、美的視点が異なっています。
話は織部焼にずれましたが、長次郎の作品の造形の柔らかさと加茂川石の釉薬の強さが相反し、今でも愛されていると私は思います。