『常識は流動的でなければ』
先日紹介した「古田織部の正体」と言う本のP158に、「棗(ナツメ)をもって濃茶の茶入に使い、道具不如意の侘茶人を手軽く茶の湯へと誘い込もうとした千利休の提唱はまたたく間に茶人たちを得心させ、その流行は、利休没後の文禄から慶長初年まで続いた」とありました。
矢部先生のことですから、相当文献を調べての内容ですから間違いはありません。
そして、古田織部がこの提唱を受け止めることなく、濃茶は茶入、棗は薄茶の容器となり今に至っているようです。
時代が流れて、人が変われば、物事も
変わって行き、今の常識が本当であるかどうか?
あらゆることに対して、疑う必要性はないと思いますが、常識は今現在の常識であり、過去は常識が異なっていることも、この茶入や棗の通り違っていることも多々あります。
なので、決まりは決まりと言う固定観念に囚われず、柔軟な思考が必要な時かもしれません。
でないと、形ばかりで中身のないもので溢れてしまいます。