楽茶碗は大嫌い!? でも茶碗を焼きに焼きまくる男『迷雲』のブログ

楽茶碗の製作は地味で熱いなどシンドイことばかりですが、楽茶碗師『迷雲』が製作を通して感じたこと、知っていること、時たま脱線したこと(いつもかな?)を書き綴っていきます。

チョツト難い話になってしまいました。

今回は日本文化の伝承の難しさについて書きたいと思います。

伝承なんて言う言葉を使うと奥がましいですから、日本文化を伝える、また表すこととここでは定義して、その難しさについて書きます。

ヤフオクなどて、参考書となる茶碗を1、2回ばかり紹介しましたが、茶碗も日本文化の影響を受けてるのは事実です。

しかし、近年その日本文化が茶碗消えて来ているというか、分からなくなっているのも事実なんです。

その典型的な例をこのオヤジは味わったことがあります。

茶道の関係者からですが、「長次郎らの作品は美術品、私らが使うのは茶道に適する茶碗です!」

皆さんはこの意見を聞いてどう思いますか?

オヤジは聞いた時に、長次郎の茶碗は茶道で使ったんじゃないの?何処が違うのか不明!なんて思いました。

要は、今の茶道は大寄せが多いので、茶碗はお薄で廻し飲みですよね?だから茶碗の口径が大きいほうが良いのです!

昔は一客一碗が基本ですから、茶碗の口径も10.7位。

大きさが全く違うのです。

たった1~2センチの違いなんですが、この差が大変なことになるんです!

茶碗の口径が大きいということは、高台はバランスを図るために大きくせざるおえなくなります。

すると、日本文化である美のバランスが一気に崩れてしまうんです!

しかし、口径は13センチで高台は長次郎作品のような高台で!なんて言う注文が来たら最後、もう見れたものではなくなります。

しかし、現代は茶碗の口径が大きく、ダイナミックに削りがあるなど、茶碗を知らない人が見ても、それが勢いがあるヘラ削りと見えてしまうものなのです。

芸術、特に日本文化は分かれば分かるほど、細かい部分まで気を許せなくなってくるものです。

でも、見る人が見ればその力量はわかりますが、形ばかり追う人びとに取っては、何のヘンテツも無い茶碗となってしまうこともあるのです。

ですから、皆さんに細かい見方を書くこともありますが、また勉強されることを望みますが、現代と反比例して理解されにくい領域になっていくことは多少は理解しておいてくださいね!

本物が分かるということは、現代からズレが生じてくることは悲しいかな、やもえない現象なのかもしれません!

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