総薬の楽茶碗と土見せのある楽茶碗
黒楽茶碗や赤楽茶碗は桃山時代の創成期作品は総薬(高台まで釉薬が掛かっている茶碗)が多いですが、江戸中期頃から土見せ茶碗(茶碗の腰下から高台にかけては釉薬が掛かっていない茶碗)が多くなります。
常慶や道入の作品も聚楽土の土見せ茶碗があるように見られますが、実は鉄分の多い土もしくは錆土で塗土をしているんですよ!
そんなバカな!と思う方もいらっしゃると思いますので説明しますね!
まず長次郎の黒楽である「大黒」の高台を見てください。一部の場所が釉剥がれを起こしており、土が見えています。
砂気が多い赤土だということが分かります。同じく常慶作品の腰下までの釉薬と土見せの境を詳しく観察すると、塗土ををしていことが確認出来ると思います。
どうですか?一般論で聚楽土は赤くヌッタリとしているとの表現が多いですが、ただの砂気が多い一般の赤土に過ぎません。
でも、聚楽近辺で採取されたことは事実だと思います。
話は冒頭に戻りますが、江戸中期から何故土見せ茶碗が増えたかは、私にも分かりません。
遠州好みだったのかもしれないし、織部は初期から土見せ茶碗だったので、その良さを求めたのかもしれません。
その歴史の事実は別として、楽の技術からすると、高台まで釉薬が掛かっていない、土見せ茶碗の方が焼成は楽です!
何故ならトチが必要無いからです。
総薬の茶碗では、窯に茶碗がくっつかないように、トチを使わなくてはなりません。そのトチの痕が目痕です。
でも、火鋏で窯から茶碗を出すときに、一緒にくっついて来てしまうこともあるんです!厄介でしょ!
だから、土見せ茶碗の方が茶碗師に取ってはある意味では気楽な茶碗なんですよ!