本物が焼ければそれでOKだと思います!
昨日の赤楽茶碗2碗の焼成から、一気に信楽の黄の瀬土の焼締作品なんて、陶芸界からしたら、異常者に見られてしまいそうです。
「陶芸を何だと思っているんだ!」みたいにね!
でも、このオヤジは考えます。
別に神格化みたいな変な格は必要ないと思うんです。
しっかり本物が焼ければ、どんな見てくれが悪い窯であろうと、また経験が浅い者でも、感覚を掴むために本物を焼かせても良いと!
昔から日本に於いては、口伝が主であり、そのことで良い部分もあったでしょうが、欠点もありました。
日本の伝統文化と一言でいうことは簡単ですが、伝統とは技術だけではなく、その文化やその当時の倫理観、そして宗教や精神性などが複雑に入り込んでいる難しい分野です。
だから、それらを1から学んでいたら、習得するまでにこのオヤジみたいになってしまいます。
なので、まず本物を自分の力で焼き、その作品の持つ力を感じてから、徐々に学んで行けばいいのではないかと考えているのです。
昨晩焼いた黄の瀬土はセッ器(火辺に石)です。
陶器と磁器の合の子ですね!
このセッ器を焼くには、長い時間をかけて焼く必要があります。
それもジックリと!
七輪改良楽茶窯は、容積が小さくフイゴにより高カロリーを作品にかけられるために焼成が出来るのです。
「でも穴窯で焼いたように火表は出来ないだろう?」なんて言う質問もあるかな?
火表とは、穴窯で作品にを焼くと、炎は焚口から煙道まで一直線なので、作品が焚口側に向いている側だけ、自然釉が被ったりするんです。
それを火表と言います。
任せてください!七輪改良楽茶窯でも出来ます!
作品の火表にしたい場所を底にして、フイゴで灰を吹き掛ければ出来ます。
「そんなのは自然じゃない!人工的だろ!」なんて言うことも言われそうですね!
でも、現代の備前焼にしても、信楽焼にしても、人為的な意匠なんて当たり前なんですよ!
スブレーで釉を吹き付けたり、自然釉に見せかけて、実は人工的だったりね!
七輪改良楽窯での焼成は、焼成中に作品の位置を変えるだけなんです。
よっぽど自然でしょ?