楽茶碗は大嫌い!? でも茶碗を焼きに焼きまくる男『迷雲』のブログ

楽茶碗の製作は地味で熱いなどシンドイことばかりですが、楽茶碗師『迷雲』が製作を通して感じたこと、知っていること、時たま脱線したこと(いつもかな?)を書き綴っていきます。

お茶の作法をに思う。

今日はお茶の社中の講義。

今日は楽茶碗の構造の話をしょうと思ってます。

世間で言う楽茶碗の見方と言えば分かりやすいかな?

でも、茶碗の見方は実際はすごく難しい世界なんです。

何処が難しいと言えば、楽茶碗の形を覚えることは簡単なんですが、形を覚えても何も意味がありません。

要は感性に訴える茶碗であるか、また綯いかが重要です。

私はお茶はしませんが、お茶の作法についても同じことが言えると思います。

いくら作法を覚えても、相手がいるのですから、相手のための作法でなければ何も意味をなさないと素人ながら思うからです。

作法は、道具という相手があり、また人がいます。

そのための作法でなければ、何もなりません。

では、自分で点てたら?

相手は自分です。自分対自分なんです。

空気で感じる。

そんなイメージかな?

武道をする方も同じだと思います。

型を学ぶ(作法を学ぶ)は、型だけにこだわらず、見えない相手がいてこそ、型が生きてくるんだと思います。

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