長次郎の黒楽とノンコウの黒楽の違い
久しぶり楽茶碗の話をしたいと思います。
長次郎の楽茶碗と楽三代のノンコウ(道入)の作品を対比すると、意匠や形状は別として、黒楽の釉調だけに着目すると、全く釉調が違うことが分かると思います。
両作者の作品とも、各茶碗に対して釉薬の調合は変えているのですが、その色合いではなく、ここでは釉調の雰囲気に話を絞ります。
文章だけで説明するのは分かりにくいと思いますが勘弁してください。
長次郎の黒楽に於いては、殆どがあまり艶は無く、なんかカセた感じがしますよね!
反対にノンコウ作品は艶が無い作品もありますが、長次郎の艶が無いのとは異なり、釉薬の溶け具合が各々違う感じ。
簡単に言えば、早く窯から作品を出したか、少し溶かし気味にして出したかの違いのような感じがしませんか?
長次郎の作品の釉薬は完全に溶けています。しかし、艶があまりなく、輝度が落ち着いています。
色々な本やネットでは、長年の時間の経過により、釉薬がカセたと言っているのを見掛けますが、果してそうでしょうか?
もし、そうならば、ノンコウ作品でも長次郎作品より新しいとは言え時間の経過は十分あり、カセていてもおかしくありません。
では何故違うか?
答えを言えば、焼成方法が異なるからなんです。
同時期の初期瀬戸黒にも当てはまりますが、作品に炎が直接当たる焼き方をすると、釉薬が溶ける前から含めて、飴状になっている状態において、炎に含まれるガスや立ち上る灰を浴びます。
しかし、この方法では、その炎の影響下で作品の安定は見込めなく、良い作品も出れば、全く良くない作品も上がってしまいます。
そこで、作品をサヤ(入れ物)に入れて焼成すると、耐えずサヤの中の作品の釉薬の状態を確認しなければならない手間はありますか、変なガス被りもなければ、灰被りも防げることが出来きます。
もう、皆さんお分かりですね!
長次郎の黒楽作品は、作品全部とは言いませんが、直接炎に当たっている焼き方をしているんです。ですから、見込みが茶色く酸化している作品もあるのです。
逆にノンコウ作品はサヤに入れて焼成していますので、ガス被りや灰被りは無く、その結果カセた感じは無く、また釉調も安定しているのです。