楽家三代ノンコウの意匠の技術
楽三代のノンコウ(道入)の高台のことで、お話したいと思います。
ノンコウの代になってから、黒楽茶碗の釉がけも先代たちの作品から大きく変わりました。
二代の常慶からその出だしは始まっています。
楽家二代の常慶の黒楽作品からは、織部の異形茶碗の意匠を用いた作品。また、土見せ(茶碗の腰から高台にかけての場所)と言う、釉薬を掛けない作風が見られるようになります。
巷では、当時聚楽第から採取されたネットリした聚楽土が使われていると本などで見受けますが、実際の聚楽土は案外砂っけが多く、ネットリはしていません。
実は高台の製作中に高台を削り終えたら、その部分をしっかり馴染ませてネットリ見えるように処理しています。
また処理だけにとどまらず、鬼板や錆土等でその部分を加飾しているのです。
初めてこのことを知った方には、「そんなはずがない」と思うかもしれません。
そんな方には長次郎の黒楽茶碗である「大黒」の畳付(高台の畳に接する部分)を観察すると、その理由が分かると思います。
たまたま大黒の高台は焼成直後に畳付の釉薬が一部剥がれており、本当の聚楽土が露出しています。案外砂っぽいです。
話は前半に戻ります。
三代ノンコウの黒楽作品にはその常慶がにある土見せ作品の意匠を引き継ぎ、鬼板や錆土で土見せを加飾した作品、削った高台のままの作品、そして高台に薄く水薬(透明釉を薄めた釉薬等)をしています。
中には、土見せに水薬だけではなく、焼成する茶碗の下に置くトチ(窯道具)の各歯にわざと黒楽釉をのせて、焼成した茶碗の土見せ高台の目痕(トチが付着した痕)に黒楽釉が付くように細かい焼成をしている作品もあります。
このように、現代では「曜変」とか、偶然の賜物みたいなことで言われていますが、昔の人々はこれでもかと言う位に神経を使い、良い作品を作ろうと切磋琢磨しているんです。
凄いでしょ!