光悦の楽茶碗は製作時間が長い
光悦の現代まで残る作品群を見て、いつも思いますが、製作時間が長次郎等の作品より長いのではないかと感じることが多々あります。
例を上げれば、黒楽茶碗の「雨曇」、「時雨」、白楽の「不二山」などです。
柔らかい内に製作完了するのではなく、柔らか箇所を完成させた後に、乾燥が進行して少し固くなった作品を再度いろんな細工を凝らしているように思えます。
何故このように光悦がしたのかと想像すれば、あくまで私の描く憶測ですが、刀はイロンナ行程があります。
砂鉄から玉鋼を作り、その玉鋼を鍛えて刀を作る。そして研ぎ。その次は拵え作り。そして最後は漆。
この一連の作業を知っている光悦に取っては、もしかするとただ土を捏ねて作品を作り上げて完成ではなく、そこからどの様にしていくかの道のりがあったように思えるのです。
しかし、この考えはニワトリが先か、それとも卵が先かのような感じもしないではありません。
この錆際を表現したかったから、そうせざるしかなかったとも言えます。
どちらにせよ、一言で言ったら簡単なこと。
それは、光悦の茶碗は製作時間が長いと言うこと。それだけは頭の片隅に置いておいて下さい。