楽茶碗は大嫌い!? でも茶碗を焼きに焼きまくる男『迷雲』のブログ

楽茶碗の製作は地味で熱いなどシンドイことばかりですが、楽茶碗師『迷雲』が製作を通して感じたこと、知っていること、時たま脱線したこと(いつもかな?)を書き綴っていきます。

ご質問のコメントありがとうございます!

今日は三連休の真ん中。
夏休みもカウントに入った感じがしますね!

昨日のブログにて、早速torazoh51さんから、コメントを頂きました。torazoh51さん、ありがとうございます。

コメントのご質問は、「以前に長次郎の赤楽茶碗(無一物)を作った時に、粘土の立ち上げの部分で、YouTubeの雨雲を作る1のように、腰下が楕円形にならない」と言う内容でした。

また、何とか治めても、段差がついてしまい、その段差が無一物の腰に見られる段差なのかな?というものでした。

前者のご質問はこれから収録する製作動画において、是非実地を交えてご説明しますので、お待ちくださいね!

後者のことですが、正解から言えば、その動き(段差になること)の良さ製作中の茶碗に活かしたと言うことが正解となります。

あの無一物の腰下の段差は、腰下の半身しかついていませんが、その段差の目的があります。それは指かかりなのです。

あのような腰下の形状は、とても茶碗が滑りやすいのです。

その滑りを止めるため、またしっかり指で茶碗を納めるために、あの日頃の指の引っ掛かりとなる段差はとても大事なのです。

しかし、その目的の段差のために、その段差の場所がとても大事です。少しでもずれていたら、茶碗は安定しません。

よって、たぶん長次郎は製作課程で色々な作り方を試み、その課程の一つにtorazoh51さんが着目された粘土の寄りによる段差が出来て、その自然さを適所の場所に再度作ったと言うことが正解かなと私は考えています。

しかし、このtorazoh51さんの着眼点は、非常に大事です。たとえその着眼点が正解でなくとも、その粘土の動きを観察していることが非常に大事なんです。

楽茶碗の製作において、「成りに作りて」と言う言葉があります。

作る課程において、その時々の形や、表面の状態を活かして茶碗を作る意です。

その「成りに作りて」を活かすためには、torazoh51さんのような着眼点が必要なのです。

茶碗の形を追うことは必要ですが、追うには、その製作課程の一つ一つに着眼し、この成りは活かしたか?殺したか?を絶えず考えながら製作することが大事なんです。

そうする事により、膨大な製作データが頭に入って来て、先の製作時に非常に役に立つのです。

考えてもみてください。名作が各地で生まれた桃山時代から江戸前期、何故あれだけのやきものの名作が生まれたのでしょうか?

一人の製作者ではありません。信楽、美濃、備前、京焼、唐津、萩、全国に名作が生まれました。

多数の各地の作りてが、いろんな名作を産み出したのです。

何故ですか?良い指導者がいたかもしれません。

茶道にたけた人間が近くにいたかもしれません。

どちらにせよ、こんな感じが良い。この感じは悪い!などと言われ、そのデータ蓄積が凄かったのではないでしょうか?

そうでなければ、あれだけ沢山の名作が各地に生まれることはありません。

要は、何が良いか悪いかのデータを製作からの形状、釉薬、施釉、焼きの全てに良い悪いが存在し、そのデータ収集が凄かったのです。

ですから、そのデータを集めること。記憶すること。また、データの言わんとすることが、しっかり着眼点として観察されていること。それが大事なのです。

ですから、質問コメントも本当に初歩的なことでも一切構いませんので、くださいね。

質疑応答形式みたいな動画を、今の光悦の雨雲の素焼き行程動画の前に作りますので、ドンドン質問をください。

ただし、「あの茶碗のここの部分はどのように製作しているのですか?」みたいなご質問に関しては、今の雨雲の製作とかけ離れている部分であった場合は、すいませんが割愛させていただきます。

何故なら、動画の視聴者が訳が分からなくなる可能性があるためです。この点だけは、ご了承ください。

それ以外で、光悦の製作に関することであれば、私が今まで成功した方法、途中までしか確証していないこと、またまだ分からないことなどを踏まえてご説明します。よろしくお願いいたします。

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