奈良時代の瓦
久々の投稿です。長らくおやすみしていてごめんなさい。
今日は久々の投稿なのですが、楽茶碗の話ではなくて、奈良時代の瓦についでお話ししたいと思います。
それと言うのも、ふとした思い付きで、東京都の国分寺市にある国分寺跡に行ってきたんです。
今はそこには何もなくただの史跡でが、いろいろ探索してみますと、足下には当時の瓦の破片が今もあることがびっくりしました。
創建が743年位と言われていますので、1200年以上前の瓦が今も残っているなんて、とてもロマンがあると思いませんか?
その瓦の破片を手にとって観察してみると、安土城でも、秀吉の小田原成敗の時の一夜城の瓦と全く異なり、焼締焼成の瓦なんです。
室町後期から桃山時代の瓦は全て燻瓦なのですが、この国分寺の瓦は全て焼締の瓦でした。なので焼成温度は1000-1100℃位で焼かれていたのでしょう。
一枚の重さば、平瓦で6キロ。それが丸瓦も含みますが、全部で100万枚屋根の上に乗っかっていたとのこと。凄い重さですよね!
その瓦の焼かれた場所は、国分寺の近くではなく、埼玉県の東松山市だそうです。どれだけの労力なんでしょうか?
現代では考えられない国家プロジェクトです。
楽茶碗や陶芸の世界では窯の温度が当時は上がらなかったなんて言う声も聞こえて来ますが、当時の技術は改めて感心せずにはいられません。
これらの瓦は全て穴窯で焼かれていますので、炎前にあった瓦は灰被りをしており、また窯の後側にあったものは、酸化焼成となり植木鉢のような色をしています。
また、当時の焼成時間が長かったようで、炎前の還元焼成気味の瓦はとても焼締まり、まるで石のようになっていました。
遊びでミニチュア瓦を作って見ましたが、こんな瓦でしたよ。ただし、瓦の模様は有るものを使ったので、全く違いますけど。