光悦茶碗の別の角度での凄さ
光悦の作った楽茶碗には、凄さがいろいろあるのですが、今日は作陶や焼き以外の凄さについて説明したいと思います。
本題から入りますが、形に独創性が有ると言うことです。
なぁーんだ‼当たり前じゃないと思うでしょうが、ちょっと聞いてくださいね!
光悦が楽茶碗を作った時代は、お手本とする茶碗と言えば、長次郎若しくは織部の沓茶碗。
細かく言えば、志野や瀬戸黒もあったでしょうが、主な手本と言えば長次郎の楽茶碗から楽家3代の道入までと、織部だと思います。
しかし、光悦の楽茶碗で現代まで残っている作品群を見ても、形は似たような物もありますが、多種多様です。
それも細かくみると、造形が今までとは全く異なる茶碗、施釉を漆のような工程をたどり、綿密に釉薬を重ねている茶碗、また逆に釉薬を多種使用しないで造形だけにこだわって作っている茶碗などです。
これだけ楽茶碗を作った人でこのように多種多様な茶碗を作った人はとても少ないと思います。
人は大体好きな形や、人の手なりにて形がどうしても似てきてしまいます。
道入も色々な形の茶碗を作ってはいますが、光悦程の独創性はありません。
道入は家業が楽茶碗を作る事でしたので、冒険は出来なかったのかも知れません。でも自服用の茶碗や友人にあげた独創性ある茶碗が残っていてもよさそうなのですが、それらは全く残っていないと言うかありません。
反対に光悦は楽茶碗が家業ではないので、何も制約を受ける事なく自由に自分が思った通りに楽茶碗を作れた環境があったので、このような独創性ある茶碗が出来たのかもしれません。
でも、前述したように、私を含めてたくさんの楽茶碗を作っていると、なんかどれも似てくるんですよ。
独創性に欠けるというか、爆発が無くなるんです。
なので、いつも自分自身気を付けていることなのですが、光悦はそんな独創性においても凄い人だとおもうのです。