長次郎時代の楽窯はどんな形だったのかな?
長次郎の作品は世の中に良し悪しは別として、黒楽茶碗は案外存在しています。
世に出ていない個人蔵もたくさんあることでしょう。
でも、不思議なのがその窯跡です。まだ見つかっていません。
京都の地てすから、昔からの住宅事情により、まだ地下に埋没しているのかもしれませんが、破片すら発掘されていないのです。
確かに当時、押小路焼などあり、たくさんの黒楽は焼かれました。それらは発掘もされていますが、低火度軟陶器と言われて、別扱いにされています。
本家楽家の長次郎の窯跡は未だに不明なんです。
今の楽家の場所とは違うようです。また、現在楽家で使用している楽窯と長次郎の窯は異なるでしょう。
一体どんな窯だったのでしょうね!
私が「楽焼秘曩(らくやきひのう)」から再現した楽窯は、平瓦を縦に三枚合わせたような楽窯でした。
この窯の感想は、もし本当に長次郎が瓦師だったら、このような楽窯の可能性もあると思います。
また、三枚の部品で構成されている窯なので、破損した場合はすぐ部品を交換できる利点もある窯だとも言えます。
楽窯は炭をフイゴでにより高温まで上げるために窯の消耗も激しいんです。
だから、窯の部品が交換できることは、効率がよいんですよ!
江戸中期以降の楽窯は発掘されています。この頃になると、一体成形の窯で大きな円柱型となります。
ここまでしか、私でも分かりません。
ただ言えることは、レンガ作りの窯でなかったことは確かです。
元々楽窯は大きな窯ではないので、レンガ作りにする必要性はなかったんだろうと思います。
そして窯の寿命も短いために、壊れたら作り直す感覚だったのでしょうね!
いつか、長次郎当時の窯跡が見つかって欲しいものですね!